CR-Zには触れざるを得ない
乗り心地がどうだとか、気持ちいいか、ってのは評論家や雑誌にいくらでも任せておけばよい。実際試乗することもないし、あったとしてもずっと先だろう。
それより大事で難しい問題は、我々はこのクルマの存在意義をどうとらえるかだと思う。
「エコでもスポーティー」とは一体なにを意味するのか?単純に考えるとambivalenceな二つの単語。よく考えると矛盾している。
エコなのにスポーティーなわけがない。エコだからスポーティーはよくない、いけない。というなら理論は通る。
だから好意的に解釈すれば
「エコな範囲でスポーティーな味付けをしました」なのか。これはこれで、それって本当にスポーティーなのという疑問もわいてくるし、エコってじゃあ何なのっていう疑問がわく。
エコとは環境にいいという意味なはず。それは今までの車よりもずっと環境にいいと言い換えたいところだけど、 スポーティーになればエコの割合は減ってしまうからそうもいえなくなる。
エコという意味づけが、環境にいか悪いかは関係なく、車づくりの思考がそうであればエコカーになってしまう現状がある。
アルファードハイブリッドが環境に優しいわけがないことはみんなわかるだろうし、レクサスHSだって同じだろう。
果たしてこのCR-Zはエコなのか?
やはり結論からいうとエコではない。だからこのクルマの環境性能をとやかく議論するのは的がはずれているのだ。
では、どう 捉えるかどうかは次で。