Team Mono-Blueのブログ

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大相撲がガチである必要はない

マスコミに踊らされて大相撲のことをツイートしていたが長くなりそうなのでここに記しておこう。元々ツイートの様な短文をまとめたり、ツイートの範囲内では書ききれないからブログができたと聞いたことがある。正常進化だ。
閑話休題。今話題の大相撲。子供の頃はよく観ていたし何度か国技館にも親に連れていってもらった。絶対的な横綱として千代の富士関がいて自分は判官贔屓ではないが旭富士関を応援していた。ようやく横綱に昇進したり千代の富士に勝ったときは嬉しかった。同じような感じで、全盛期をとうに過ぎながらも前頭で奮闘する小錦関の成績には一喜一憂していた。だから、ろくに相撲も見てないのにしかめっ面をする人よりは十分語る資格があるとは自認している。

ようやく本題。結論から言えば大相撲が全ガチである必要はない。多くの人がの本質を誤解しているのは、今回の件が問題ななっているのは大相撲にワークが混在していることではなくて、ワークにおいて金のやり取りがあからさまにあったからだ。そもそも元

から大相撲は全ガチではないしTwitterにも書いたが、ガチであることが国技の条件だとは思わない。競技としての相撲を重要視するなら育成の弊害でしかない部屋制度を潰したり、土俵という世界を見ても類を見ないほどの危険なリングを根本から変えないといけない。一場所15日というのも負担が多すぎるからやめないといけないし同部屋対決なんて当たり前にしなければならない。変化ばかりする力士が横綱になるかもしれないし、人格者たれなんて夢のまた夢か。足取りばかりする力士が優勝して禁止になるかもしれない。

つまり何が言いたいかと言えば伝統や文化、全てを内包してこその大相撲であるからガチであることなんて大相撲の必要条件ではない。


そしてもう一つ大事な側面として興行としての大相撲がある。日本相撲協会は優遇は受けてはいるが、チケットを売って地方での興行を売って成り立っている。つまり売れなければ未来はない。国が保護したとしても。それを考えたとき、全ガチにシフトする大相撲が商売として興行として成り立っていくかはわからない。さすがにガチとしては認識されていない地方巡業はどうなるのか?


今日はこのへんにしておこう。